絲原家の正月行事 1

八俣遠呂知(やまたのおろち)(八頭八尾の大蛇)退治で有名な須佐之男命(すさのおのみこと)が詠んだとされる「八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣つくるその八重垣を」(「古事記」より)から出雲と呼ばれるようになったという出雲神話や伝説の多く残る奥出雲。江戸時代中期から大正10年代まで、地勢を利用した古式製鉄である「たたら吹き製鉄」が盛んに行われていました。最盛期には全国の鉄の約7割を生産していたといわれます。
奥出雲仁多(にた)郡奥出雲町雨川(あめがわ)にある絲原家は、中世武家の一門の出とされ、寛永元年(1624)、備後国(現在の広島県)から仁多郡大馬木(おおまき)村(現在の奥出雲町)湯之廻(ゆのさこ)に移住しました。寛政10(1798)、現在の場所に移り、大正12年(1923)まで280余年にわたり、代々たたらの火を燃やし続けてきた家柄です。

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