歳神さまにお供えする尊き鏡餅

糯米(もちごめ)を蒸して臼で餅をつく家はめっきり少なくなりましたが、全国的に見れば年間の祝い事をはじめ、稲作にまつわる祭り事や人生の通過儀礼に餅は欠かせないものです。古くは「毛知比(もちひ)」(糯飯(もちいい))、または「搗飯(かちいい)」(女房詞のかちん)とも呼ばれていたといわれ、「豊後風土記」や「山城風土記」などには弓矢の的として餅を射ると白鳥になって飛び去ってしまったという伝説が載っています。これは稲作中心の風土の中で、餅が稲のシンボルであり、幸福をもたらすものであるとの認識から語り継がれたといわれています。
餅は神へのお供えであり、神の召す聖なる食物として特別な日にだけ餅をつき、お下がりを分け合っていただいてきました。
八咫鏡(やたのかがみ)に似せたともいわれる鏡餅は、古(いにしえ)に鏡が神秘を宿す貴重品であったことを示しています。歴史的には鏡餅の上に菱餅をのせたといわれ、禁裏御用を務めていた「川端道喜」所蔵の絵巻物には宮中の鏡餅が描かれています。12枚の葩餅(はなびらもち)の上に重ねられた菱餅、福井の山奥で出会った「花びら餅」と名づけられた正月餅にその流れを見た思いがします。
丸や菱、小判形や長方形、箱型など多種多様な形の祝い餅、色もさまざまです。親から子へと受け継がれるご馳走だったお餅、日本人の心が宿ります。

Menu

HOME

 TOP