神さまへのお供え餅がお雑煮の始まり

お正月の代表的な食物であるお雑煮はもともと烹雑(ほうぞう)といい、”烹”は”煮”と同じ意味であることから、いろいろな種類の材料を煮る「雑煮」と呼ばれるようになったといわれています。神さまにお供えしたものを直会(なおらい)としていただいたことに始まるともいう、地方色溢れる料理です。地方により、さらに家庭により、餅の形、だしの素材、具の種類など、新年を迎える大切なものだからこそのこだわりが見えてきます。
長い間、禁裏御用を務めてきた御粽司(おんちまきつかさ)「川端道喜」の絵巻物「御定式御用品雛形(おんさだめしきごようひんひながた)」の正月二日の項には「御買物始(おかいものはじめ)」というしきたりがあり、白い葩(はなびら)餅の上に紅の菱餅が並び、押し味噌や野老(ところ)、年魚(あゆ)などが描かれています。この年魚が後、牛蒡(ごぼう)に代わり、現代の葩餅になったといわれ、宮中雑煮の始めとされています。
「正月、二日、三日の三朝、屠蘇は汲まざるも雑煮の調えなきはなし」と「絵本江戸風俗往来」にも記されているように、雑煮は江戸時代には一般化されましたが、当時は醤油仕立てが主流でした。味噌仕立ては室町時代半ば、お雑煮がお正月に食べるものとして定着し始めた頃の生まれと伝わります。
全国各地のどこの土地にも同じお雑煮はなく、それぞれのお宅には家ごとの歴史が込められたお雑煮があるのです。

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