西江家、紅柄(べんがら)の家の神迎え(岡山・高梁市) 1

ハレの日の食物である餅は、かつてはどこの家庭でも自宅でついたものでした。年の瀬が押しつまった二十五、六日頃からはじまり、大庄屋などでは出入りの人々が多数集まりました。土間に臼を出して威勢のよい掛け声や餅つき歌に彩られ、千本づきや杵の音が響きました。奥の部屋まで餅筵(むしろ)の上にはつきたての餅が並べられ、つき終わると酒や料理が振舞われ、家族、親族、近所の人々の友好の場となったのです。
平安時代に発見された銅山の町・吹屋の山あいに城郭と見まごうばかりにそびえ立つ紅柄御殿西江家。戦国時代に幕府御用山の銅山経営に当たり、天領大庄屋を兼ねていました。現当主寛格(ひろただ)氏で十七代、この家で生まれ育った奥さま、里さんとともに旧家の伝統を守ります。
西江家の餅つきは二十六日、男衆が集い、一年に一度、昔からの竈に火が入ります。

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