絲原家の正月行事 2

たたら製鉄は、松江藩の保護政策のもとで歴史を経るとともに大きく成長し、絲原家も五代徳右衛門が藩内五鉄師の一人となり、酒造業も開始しました。七代吉三郎の時代には鉄師頭取を許され、さらに十代徳右衛門は田畑山林の開発も行い、たたら製鉄業も雇い人数約1500人を抱えるまでになりました。
十一代権造は維新後、製鉄改良に励む一方で仁多郡農談会を設立し、新時代の殖産興業を先頭に立って推奨し、現在の仁多米、仁多牛の基礎を築きました。
十二代・十三代武太郎は貴族院多額納税議員として国政にも参画する一方で、簸上(ひのかみ)鉄道(現JR木次(きすき)線の前身)、松江銀行(現山陰合同銀行の前身)、出雲電気(現中国電力と合併)等の各社を創設しました。なおたたら製鉄業は大正12年(1923)に廃業し、家業の中心は山林業へと転換し、木炭改良も行いました。

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